久しく書いてなかったこの日記。

実はここ数ヶ月、とても書く気になれなくて、放置していたのです。そんな私がなぜ書く気になったか。まあ、非常に些細なことなんですけどね。

今日14時頃、ふらりと近所の神社に行ってお参りしたその帰り、コンビニの駐車場で一円玉を拾ったのです。しかもかなり傷物。拾い上げて「これ、いつ発行されたんだろう」と思って確認したら、妹の生まれた年に発行されたもの。

その一円玉を握って歩いたんですが、なんかもう

「この一円玉、一体どれだけの距離と時間を移動してきたのかな」

「この一円玉、よくこんなにコテンパンにやられたよなあ」

「一体どれだけの人の手に渡って、どれだけの財布やレジや金庫の中、入ってきたのかな」

「1億円だって、一円だって足りなかったら、1億にならないんだよな」

「この、一円玉を作り出した『人間』だって100年くらいしか生きられないのに、一円玉や、この世の物って、何も危害を加えなきゃ、半永久的に生きられるものが多いよなあ」

などとつらつら考えていたら、この1円玉がすごく偉大なものに思えてきました。

経済社会の血液、その名の通りキャッシュフローとして社会を回っていた一円玉。うっかり誰かのポケットや財布から落っこちて、車に轢かれたりして傷だらけになって、私が拾わなかったら、もしかしたらゴミにまとめられて捨てられて終わってたかもしれない。一円玉だって、最後は造幣局帰りたいよね。

明日か明後日、この一円玉をちゃんとフローに戻してあげよう。再出発は、なんかどこかお洒落な店のお会計からスタートだ。

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